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ゾンビ論法?

夜な夜なベッドの中でTwitterの更新ボタンをポチポチしていると「哲学的ゾンビ」というカッコイイ単語を目にして軽く調べたことがあった。

そんで今絶賛電車の移動中で暇なのでつらつらと疑問に思ったところを中心に書いておこうと思う。読みづらいと思うけど許して

あと詳しい人がいたら教えてください

どうやら哲学的ゾンビっていうのはゾンビ論法という話に出てくる存在らしい

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93

これを読んでよくわからないことがあった

この論証の出発点である「我々の世界には意識体験がある。」という部分がよくわからなかった。意識体験だと思うものも結局は生理現象でないかもしれないじゃんなどと考えてたら同じ考えの人がいた。そして「現在の物理学では、意識、クオリア、経験、感覚を全く欠いた世界が想像可能であることを主張する。」と書いてあるがもしそうだったら物理学者は今何を研究しているのか?まだ世界の全てを説明できないから研究者がいるはずではないのか?仮に「現在の」という部分が間違いだったとするとそれはそれでおかしいことになる。将来意識体験が自然科学で説明されないとは言えない。もし説明できてしまうと意識体験もゾンビワールドに組み込まれなければならなくなってしまう。

とかだらだら考えてたら「以上の点から現在の物理法則・物理量ですべての説明ができるという考えは間違っている。」という文章の「現在の」という部分を見落としてることに気づいたそもそも現在の物理法則・物理量でゾンビワールドすら作れるかどうか怪しいと思うけれど。不思議な話だと思う。現在の物理法則・物理量で全ての説明ができるということを否定するために現在の物理法則・物理量で作れるかどうかわからない(と自分は思う)ゾンビワールドを作っているのが不思議だ。

そして「現在の」の部分がWikipediaが勝手に付け足している部分だったとすると意識体験が何故この先ずっと物理学で説明できないのかわからない